豚バラのアグレッシブな日常

思ったこと共有したいことの自己満ブログでございます

拝啓 全俺に継ぐ 1

 199x年のH県で生まれる。

我が家の状況とすれば、上に兄がいて、妹がいる三兄弟間っ子として生まれる。両親は共働きで家の敷地に父方の両親の家がある。

 俺は近所の保育園に入り、そこで保育園生活を送ることとなる。行きは母が妹と俺を乗せて自転車に乗って送り迎えしてくれた。父は幼い頃は怖い記憶があり、何かやっかいごとを興すと家の外に放り出されるという今考えれば鬼畜ではあるが、おかげでメンタル強化された。保育園で起こった事件と言えば、おままごとで使う皿を手裏剣にして当てられて歯が欠けたことだ。記憶にはないが凄く痛かったのだろう。その他で言えば家族の知り合い達と旅行に行ったとき、何も知らず水風呂に飛び込んでしまい高熱を出して皆の前で座薬を入れられたことがあった。

後卒業式の時には当時の担任と写真を撮った,凄く良い先生だった。

 無事に小学生になり、小学生になると近所の知り合いがよく遊んでくれた、兄の友達にもよく遊んで貰い、婆ちゃんと庭でキャッチボールをよくしていた。

このころは、最新のおもちゃが出る度に兄が持っているという虚勢を良く張っていた。(嘘である)

3年生にあり、兄がやっていたサッカーを習い始める。そんな束の間、ある日雨が降った日に坂道を自転車でこいでいるとしたから上がってきた車と正面衝突した。生まれて最初の気絶だった。1℃気がついたときには周辺に人だかりが出来ているのを見て、またすぐ気絶した。気づいたときは病院で1ヶ月ぐらい入院した。毎日の楽しみは、父が飼ってくるドラゴンボールの漫画である。後は、その時にドラマであった西遊記や映画のチキンリトルである。途中手術を行い初めての全身麻酔をした。一瞬で記憶がなくなり、手術は終わっていた。そんなこんなで退院して、再び小学生活を送っていくこととなった。その中でそろばん教室に通い始め、順番に級を取っていく中、途中で嫌になり辞めることになった。両手はなしで自転車に乗りバランスを崩し用水路に転落してそろばんを無くし、親に説教されたのが決めてであるが、今考えれば自業自得である。

しかし、サッカーは無事続けることが出来た。これも周りの人のおかげである。徐々に友達が増えていき楽しくなっていった。同じサッカー教室に通う兄はとても上手く毎回こてんぱんにされていた。

小学4年生では、彫刻刀を間違って指に刺したことがあった。不思議と痛くなかったが、大事故なので親と担任ただただ迷惑をかけてしまった。

小学生で1番怒られたことは家に友達を親に何も居合わずに10人呼んだことである。しかも、朝一に誰がどう見ても怒られる。

1番馬鹿だったことは小学6年生の時に、スライムを投げて遊んでいたら天井に張り付いたので、組み体操の練習と思い、友達2人の上にのりスライムを取って降りようとしたら、バランスを崩して腕を骨折したことだ。これのおかげで醜態背の運動会を涼しく過ごす羽目になった。

最悪だったことは、小学6年生の時に学級崩壊したことである。何故かわんぱく少年が集まり、先生の言うことを聞かないという動物園のような環境で1年間を過ごし、無事に卒業式を迎えることが出来た。しかし、その日は東北大震災の日でテレビで流れる映像がただただ衝撃で鮮明に記憶に残っている。その後の連日報道で事態は深刻だと報道される毎日で、小学生の私は不謹慎ながら早く元のテレビ欄に戻らないかなと考えていた。

これで小学生編は終了として次は中学編になります。