豚バラのアグレッシブな日常

思ったこと共有したいことの自己満ブログでございます

人生という本

今日ふとTwitterを見てたら

女子高生の自殺がトレンドに上がってて

何これと見てみると動画があり、

内容は言えないが、それを見た私は

絶句のあまり無気力になってしまって

 

この奥の方から湧き出る感情を殴り書きしていく

 

その内容の詳細については、全くの外野なので、そこには触れず、今一度自殺について考えてみようと思う。

 

私も過去に未遂をしたことがあるが、その際は周りなんかどうでも良く、ただここから消えたいの一心だった。

日が経ち、あの頃の気持ちは今は無くなりつつある中、今日の出来事だ

それを見た感想は、親が愛情を注いで育てた子だろうに、こんな若いのに…と言った感想がつらつらと頭の中を巡った。

 

まてまてと、あの時の自分もこういう気持ちでいなかったか。

これが成長なのか退化なのか分からないがこの気持ちはスルーしておく。

 

周りが見えなくなり、選択肢が狭まり、その最悪な選択が湧き上がってきて、あたかもそれが正解なんだと思い込み、実行する気持ちはわかる

 

しかし、なぁ、、

先日、姪っ子が産まれた自分にとって将来この子がその選択をしたらと考えると、途端に気分が悪くなった。

これは姪っ子に出会わないと分からない感覚であの時の自分には理解ができないであろう。

 

未遂をした時、確かに親のことは考えた

だが、1番は自分なんだと感じた。

今が苦しい、申し訳ない、その感情で一杯だった。

 

この気持ちを客観視して率直な意見を言うと

環境を変えなはれの一言に尽きる

少なくともそれで自分は楽になった

そして、周りのもう少し見渡してみて欲しい

きっと救いの手を差し伸べてくれる人がいるはずだ。

とんだ綺麗事で誰も自分の苦しみなんてわからないと思うかもしれない。

その通り、自分の本当の気持ちは自分にしか分からない。

じゃあ、相手があなたを思う気持ちは偽物なのか

そうじゃない、その人なりにあなたことを理解しようとして、その上で出た言葉なだけで、たまたま綺麗なだけで、しかし事実なわけで

それを受け入れる余力があるかは分からない

けど立ち止まって考える時間も大切である

 

本当に自殺を考えている方へ

生きれば、生きた方がなんて無責任なことは言えない。

実際に自分もあれから生きて、良かったかと言われると曖昧である。

しかし、死んだ後の世界

からは誰にも分からない

だとしたら、生きた世界を変えたほうが楽では無いのかと最近思ってきた。

同じ地獄なら〜というやつだ。

変なスピリチュアルなこと書いてんなあ

 

でも、生きてる素晴らしさってあると思うのよ

新たな生命の誕生はものすごい感動するし、

何か自分で起こせるっていうのも魅力的だ。

 

あの一瞬で人生が終わるなんて

悔やんでも悔やみきれないよなあ

 

けどなあ、本当にダメだよ

今冷静になって考えるとやっぱり命を絶つのはダメだよ

 

ふと考えるんですよ。

人生が終わった後のことを

こうなってればいいなって言うのがあって

終わった後に自分の人生が本になるっていうね

偉人伝とかあるじゃない、そういう感じ

あれでさ、結びが自ら絶つってあまりにも寂しすぎないか

より生きれる可能性があるなら

その1ページ、1文でも、どんな些細なことでもいいから良いこと、嬉しかったことを埋めることをしてみたら終わった後でも読み返して、少しは気が楽になるんじゃ無いかな、、

 

久々書きましたけど

いつもに増して、意味不明な雑な文になったことごめんなさい

 

今、今書かないとこの気持ちは残せないと思ったので殴り書きのような形での投稿とさせていただきます。

もうこれ以上書くとパンクするのでここにて